まどか☆マギカの呪い

つい先日、昨年見事な最終回を迎えたと話題になっていた「惑星のさみだれ」を一気読みした。
私は普段、素晴らしい漫画を読んでいるときには、物語の中に没入する。筋立てがどうこうだの、伏線がどうこうだの、全く考えない。ただ、圧倒的な物語に身を任せ、川を漂う木の葉のように流れていくのだ。
そんな私がこの漫画を読み終えたとき、「ああ、これはよくできた漫画だな」と、他人事のような感想を抱いた。
つまり、感情移入できなかったのである。

原因はただ一つ、まどか☆マギカだ。
せめて、最終回まで見た後か、もう少し時間を置いた頃であれば、こんなことにはならなかっただろう。

未読の方のために付け加えると、「惑星のさみだれ」は、極めて質の高い、よくぞこの巻数でここまで、と思わされるほどの少年漫画だ。
そして、私はこの漫画に出会ったのが、頭からつま先までまどか☆マギカにはまっている時期であったことを心から悔やんだ。

惑星のさみだれ」を非常に単純化して言うと、世界に絶望した少年が、世界を滅ぼそうとする少女に出会い、世界を守る物語だ。
うん、これだけでは全く分からない。

詳しいあらすじはAmazonにでも譲るとして、この物語では、「異界の使者に世界を守って欲しいと言われ、力を得る」という、部分的に魔法少女のフォーマットに則った設定が現れる。

無論主人公は少年(大学生だから少年は苦しいか)だし、契約は本人の意思ではなく勝手に選ばれる巻き込まれ型なので、一概に同じと言うことはできない。
しかし、異界の使者は言うのだ。
「命懸けで戦ってもらう代わりに、願いを一つ叶えよう」と。
この時点で、私の頭には既にきゅっぷぃと不吉な声で鳴くあいつの姿がよぎっていた。

そして、代償としての登場人物たちの願いは、実にささいなものなのだ。
登場人物たちは、戦いの中で傷つき、絶望し、そして再び立ち上がって進んで行く。
その過程は、とても力強く、格好よく、勇気づけられるものだった。

しかし、駄目なのだ。
どうしても、「戦う動機」に感情移入できなかった。
マミさんが、さやかが、杏子が、ほむらが、そしてまどかが、戦いの運命と引き換えに望んだものの重さが、どうしても頭から離れなかったのだ。

惑星のさみだれ」の登場人物は、実に清々しく、命をかけて世界のために戦う運命を受け入れる。
もちろん、少年漫画はそれでいい。
魔法少女も、それでよかったはずだ。

だが、私はもう、誰かのために戦うことを何の屈託もなく受け入れる物語を、同じ目で見られそうにない。
なぜなら、まどか☆マギカの第8話で最後にさやかが見せた泣き笑いが、「私には無理だった。あなたにはそれが出来るの?」と、問いかけてくるからだ。

私には、出来そうにない。
さやかと同じように、私はきっと、「何の見返りもないのに、なぜ他の誰でもなく、私が戦わなければならないのか?」を、いつか自分に問うてしまうだろう。
そして、見返りを与えない者を、戦わぬ者たちを呪うようになるかもしれない。

この感覚は、しばらく私が読む、見る物語の全てに暗い影を落とすだろう。
ある意味で、これはまどか☆マギカという作品の呪いだと思っている。
ひょっとしたら、この呪いは私のような受け手だけではなく、作り手の側にも影響を及ぼすのではないか、とすら思う。

エヴァ以前とエヴァ以後で、アニメの文脈が少し変わったように、まどか以前とまどか以後で、何かが変わるのだろうか。
それとも、単に私の勘違いで終わるのか。

これからしばし、特に魔法少女ものの動向に注目したいと思う。