【ネタバレ】THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!:アイドルとチームビルディング

THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!」を遅ればせながら
観てきた。
これまでアイマスを追いかけてきたPのための映画であり、グリマスを
プレイしているPのための映画でもあるのだろうな、という印象だった。

少し、アイマスそのもののストーリーとは無関係に強く思ったことが
あるので書き留めておくことにする。
それは、「リーダーの役割」ということだ。

春香はリーダーとなり、リーダーが果たすべき役割に葛藤した。
個人的には、ここが一番観てよかったと思う部分であり、またこの
映画の本筋ではないにせよ、Take awayとして有意義なものだった。

春香に対して美希が言うことも、伊織が言うことも、非常によかった。
端的に言って、リーダーとは「合意形成をする者」ではなく、
「求められた役割を果たす者」でもない。

リーダーとは、「定義する者」なのだ。
ある集団のリーダーは、その集団を定義する。
即ち、何を為し、何を為さないかを。
そして、その結果に責任を持つ。

オメガトライブという漫画で、晴がまさに種の規範として
「親が子を殺さない」というものを定義したように、春香は
アリーナライブにおける765プロの規範を定義した。

それは、「チームのメンバーを見捨てない。例え、それが効率的で
なかったとしても、意志を持つ者を切り捨てない」ということだ。
これが、765プロの、少なくとも春香がリーダーである間の規範だ。

それが正しいか正しくないかは、議論する意味がない。
なぜならば、リーダーとは「定義する者」であり、定理は証明という
手段により、是非を問うことができるが、定義は定めるのみであり、
その時点での是非を問うことはできないからだ。

もちろん、定義した結果は生まれる。
アリーナライブでは、無事によいパフォーマンスが生まれた。
仮に、春香が矢吹可奈を見捨てる決断をしていたらどうだったか。
それはそれで、一つの定義だ。
「ファンに最高のパフォーマンスを届けるために、ついて来られない
メンバーは切り捨てる」という規範だ。

この規範はどちらも正しい、というより正しさを論じられない。
結果を評価して、後付けで論じることは出来るが、それは単なる
評論であり、リーダーの役割を変化させるものではない。

リーダーは、正解などない闇の中にあって、集団の存在意義を
定義することで、進むべき道を示すことが役割だ。

私がこの映画で最も震えたのは、矢吹可奈を迎えに行くと決断した
際の、春香と北沢志保のやり取りだ。
詳細な台詞はうろ覚えだが、北沢志保の「それが、みんなの貴重な
練習時間を削るほど、大切なことですか」という再三の問いかけに
対して、目を見つめたままうなずいたシーンだ。

あれが、765プロの規範が定まった瞬間であり、春香がリーダーに
なった瞬間だった。

また、フォロワーも見事だった。
春香をサポートする立場である千早はもちろん、本来なら対立する
立場である美希や伊織が、春香が本当に果たさなければならない
役割を伝えつつ、春香の示した規範を信頼をもって受け止め、
すぐに行動に移した。

それぞれ、恐らく違う規範を胸に抱いていたかもしれない。
それでも、その違いは「正しさの差」ではなく、「考え方の差」
でしかない。

だからこそ、美希は「春香は甘ちゃんだけど、だからこそ私の
ライバル」と言えるし、伊織は「春香はプロとしては大甘だけど、
最後は何とかする」と言える。

アニマスでの衝突と、その過程での相互理解を経て、対等な、
それでいて異なる立場での個を尊重し合える関係となったからこそ、
この台詞が出て来るのだ。

こういった視点で「THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!」を
観るのは正直邪道であるなぁと思いつつ、非常によくできたリーダーシップと
フォロワーシップ、そしてチームビルディングの映画だったので、こんな
感想を書いた次第だ。

ところで、「眠り姫 THE SLEEPING BE@UTY」を観るにはどこに
お布施すればいいか教えて下さい。