「場」というエンタテイメント

「まどか☆マギカ、熱狂の本質を理解できない人々」というエントリを読んだ。
後からこの作品に触れた人が楽しめないかどうかは、私が断ずるところではないので触れない。ただ、「場」が、エンタテイメントにおいて大きな場所を占めるようになっているというのは、私自身強く感じているところだ。

「場」とは、空気と言い換えてもいいかもしれない。まどか☆マギカが放送されていた時間は、先のエントリにも書かれているように、何か特別なものがあった。この作品がどういう結末を迎えるのだろう、という期待や不安が、多くの人に共有されてあたかも一つの大きな波を生み出しているようだった。

もちろん、実際にその波に参加している人は、日本全体から見ればとても少ないのだろう。しかし、現在は2ちゃんねるが、Twitterが、SNSがある。その「場」の共有は、少し前よりも遥かにスムーズに為されているはずだ。

少し昔の話をしよう。
ガンパレードマーチ」(ガンパレ)というゲームがあった。もう11年も前のことだ。今でも世界観を継続したゲームは発売されているので、ご存知の方も多いだろう。この作品は、ある点において画期的だった。「世界の謎BBS」というものがあったのだ。

ガンパレの世界には、膨大な設定が詰め込まれている。そして、そのガンパレの世界は現実の世界にリンクしており、相互に影響し合っている、という設定だった。開発会社そのものや開発者すら、その設定上のキーマンとして実際にファンの前で振る舞うほどの徹底ぶりだった。

その結果、ファンたちは世界設定の構造や、散りばめられた伏線を皆で解き明かす、ということに楽しみを見出した。そして、そのための「場」として、かつ、キーマンが稀に登場して裏設定を少しずつ明かす「場」として、開発会社が(恐らく意図的に)提供したのが「世界の謎BBS」であった。

これは多いに盛り上がった。もちろん私も楽しませてもらったし、ゲーム自体の完成度がかなり高かったこともあり、カルト的な人気を博すに至った。「世界の謎BBS」が、その手助けをしたのは間違いないだろう。

この現象、膨大な隠された設定と、少しずつ語られる世界観は、その5年前に放送されたアニメと相似しているように思う。そう、「エヴァ」だ。

エヴァについては既に語られ尽くしているので、ここでは述べない。ただ、エヴァのときに意図せず巻き起こった「場」が、ゲームに舞台を移してある程度意図して作られたのが、ガンパレだったのではないか、と思うのである。

さらにガンパレの2年後、「ひぐらしのなく頃に」(ひぐらし)が頒布された。こちらも私が語るまでもない作品なので詳しくは述べないが、制作者である竜騎士07氏がどこかで語っていた、「ゲームの外で推理を楽しむこともゲームのうち」という言葉が、非常に印象的だった。

つまり、ひぐらしもまた「場」を意識して作られたゲームの一つに数えられると思うのである。現に、ひぐらしの考察スレや、推理Wikiはものすごく盛り上がっていたし、竜騎士07氏自身も、それを煽るような言動や演出を用いていた。

こういった楽しみ方は、新しいエンタテイメントの輪郭をぼんやりと描画しているように思う。中世以前のエンタテイメントは、伝達手段や再生手段の乏しさから、非常に限られたものであった。祭りや演劇、音楽など、実際に「場」を共有することによるものがほとんどであろう。

それに対し、電気が普及した近代では、個人が単に受容するだけのエンタテイメントがどんどん増加してきた。祭りや演劇、音楽を大浴場に例えるなら、シャワーのようなものだろうか。延々と番組を流し続けるテレビがその象徴的な存在だ。受け手はそれを職場や学校で話題にすることはあっても、大きな「場」は共有されづらい。

そして、我々はインターネットを手に入れた。そこでは、どんな大規模な「場」でも共有されうる。私は、先のガンパレひぐらし、そして今回まどか☆マギカを楽しんでいるとき、「祝祭」という言葉が非常にしっくり来るような感覚に襲われる。

この感覚は、インターネットという、巨大な「場」を共有することによる、新しいエンタテイメントの萌芽なのではないかと思うのだ。このエンタテイメントの世界では、いかに作品を完全なものとして作り込むかではなく、いかに楽しめる「場」を作り出すかが勝負になるのである。

そういった意味では、ひぐらしのように、或いは似た出自を持つ「月姫」のように、同人の世界から巨大なエンタテイメントが生まれる可能性が多いにある、面白い世界だと思う。

だが一方で、祭りはいつか終わる。
ガンパレも、ひぐらしも、隠された設定が明らかになるに連れて、徐々に熱は冷めていった。そしてひょっとしたら、まどかも同じ道を辿るのかもしれない。「場」の熱を保ち続けるのは大変なことなのだ。

ここに、一つの巨大な「場」を保ち続けている作品がある。東方Projectだ。ひぐらし月姫と並んで三大同人ジャンルなどと言われたこともあるが、その中で唯一、未だに商業ベースに乗らず同人の世界に留まっている作品だ。それでも、毎年開催されるオンリーイベント博麗神社例大祭」には世界最大の同人イベントであるコミケに準じるような人数が集まる。この作品の二次創作を売買するためだけに、だ。

東方についてはゆゆ様の可愛さとかゆゆ様の優雅さとかゆゆ様のカリスマとか色々語りたいことはあるのだが、ここでは「場」と「二次創作」の関連を述べるに留めておく。

東方Projectは、二次創作のガイドラインを定め、商業ベースにしない限り原則として二次創作を自由化している。そして、原作の中では、ほとんど何も設定が語られないに等しい。二次創作で人気になった設定が、原作に逆輸入されたことすら稀ではないのだ。いわば、一次創作と二次創作が一体となって、一つの大きな東方Projectという「場」を作っていると言えるだろう。

私はここに、一次創作と二次創作の幸福な結婚に、先に書いた新しいエンタテイメントの世界があるのではないかと考えている。大会社が大資本で作る作品は、ハリウッドに任せておけばいい。新海誠氏が、竜騎士07氏が、ZUN氏がやってきたように、個人でも「場」を利用することで、巨大なエンタテイメントを作ることが出来るのだ。そしてそれは、日本人が大いに得意とするところではないか、と私は感じるのである。

蛇足:
二次創作の闇の部分については、もちろん認識している。いわゆる「同人ゴロ」や「転売屋」もまた、二次創作の一つの側面だ。だが、そうだとしても、本当に二次創作は一次創作と相容れないものなのだろうか、という思いはやはり強いのである。