まどか☆マギカは自己犠牲と救済の物語なのか?

最終話の放送からずいぶん間が開いてしまったが、ネットで「自己犠牲」「救済」という言葉を交えた多くのレビューを読み、どうしてもまどか☆マギカについて書きたくなったので書いてみる。

自己犠牲という言葉の裏側には、まどかが無償の愛で魔法少女を救う、というニュアンスが含まれているように思う。
だが、本当にそうなのだろうか?

最終話で、まどかはキュゥべぇに対し、「さあ叶えてよ、インキュベーター!」と言う。まどかが強い口調で何かを言い放つのは、物語を通じて初めてのことだ。まどかにこう言わせた動機は、何だったのだろう。
慈悲?憐れみ?心が潰れるほどの悲しみ?
私は、「怒り」だったのではないかと思う。

第9話で、杏子はこう言った。
「あんただっていつかは、否が応でも命懸けで戦わなきゃならない時が来るかもしれない」
そして、最終話の精神世界で、杏子は重ねて言った。
「戦う理由、見つけたんだろ?逃げないって自分で決めたんだろ?なら仕方ないじゃん。後はもう、とことん突っ走るしかねぇんだからさ」

これは、端的にまどかの選択を表しているように思う。
救済という言葉を、何らかの望ましい状態を約束することとするならば、実はまどかは何も救済していない。まどかは魔法少女の願いに、絶望に、幸福に、ましてや人生に、何の責任も持たない。まさに劇中で描かれた通り、さやかは魔法少女になったとしても、やはり恋が報われることはなく、仁美に上条を奪われるのだ。

では、まどかの選択とは何だったのか。
それは、自らの目の前で大切な友人たちに悲しみを強いた「世界の仕組み」と戦う、ということではないだろうか。

そして、その戦いは永遠のものだ。
まどかが法則を書き換えた後でも、実は魔法少女ソウルジェムが穢れたとき魔女を生むという仕組みは何ら変わっていない。まどかは己が戦い続けることを前提に、その仕組みに新しい法則を付け加えることができただけだ。

そう考えると、キュウべぇが第7話で語っていた「戦いの運命を受け入れてまで、君には叶えたい望みがあったんだろう?」という言葉、そして第3話のまどかと父親の会話、「生き方を夢にする」との一貫性に気付く。まどかは、理不尽な世界の仕組みに怒り、永遠の魔法少女であり続けることを願い、永遠の戦いに身を投じることを願ったのだ。

もしそうであるならば、こちらでまどかを表現していた「英雄」という言葉も納得感が高かったが、個人的には「革命者」である、という表現が最もしっくりくる。まどかは神ではなく、戦うことを選んだ革命者だ。

また、最終話で「Always, somewhere, someone is fighting for you.」という英文が提示されたが、ここで「fighting」という単語が用いられた理由も、この物語のテーマに繋がるように思う。もしこれがキリスト的な愛に基づく神の救済の物語であるならば、「caring」でも、「watching」でもよいだろうし、その方が神の概念に近いだろう。
実のところ、この文章を目にしたとき、「カイジ」の電流鉄骨渡りで、カイジが見た幻覚を思い出したのだ。

<以下引用>

 いつも一本の道を想像するのだ……
 暗く……視界をを殺す 濃霧のなか 足元に ほの見える 一本道 
 他になにもないので 仕方なく その上を行く……
 ふと……周りを見渡すと……
 虚空に無数の光があり
 皆のろのろと前進している……前進しつつ……
 ふ……と なんの前触れもなく つい消えたりする……その時……
 理解する 直感的に…… そうか……そういうことか……
 この道は 死へと向かう 一本道
 周りの明かりは おそらく人……オレの心にきっと届かない……
 世界中の人……57億の民……
 これが……この状況が……このオレのいる世界だ
 全ての 飾りを取れば そういうことだ……

 天空を行く一人一人……57億の孤独(あかり)……!!

 全ての人間に手がとどかない 触れられない
 離れている……全て……遠く離れている……
 できることは……通信……通信だけ……!!

(中略)

 理解を望んではいけない……!!
 そう……理解は望めない 真の理解など不可能
 そんなことを望んだら それこそ泥沼
 打てば打つほど 焦燥は深まり 孤独は拗れる
 そうじゃない……そうじゃなく 打とう……!!
 無駄ばかりの誤解続き 人間不信のもと……
 理解とは 程遠い 通信だが
 しかし……打とう……! あるからっ……!

 確かに伝わることが……ひとつ……!!
 温度……存在……!
 生きてるものの息遣い……その……儚い点滅は伝わる……!

(中略)

    「そうか……そういうことか……!
     分かれていなかったんだ……
     希望は……夢は……人間とは別のなにか……
     他のところにあるような気がしてたけど……
     そうじゃない……!
     人間が……人間がつまり……
     希望そのものだったんだ……!

     オレがここに在る……!オレがここに……ここに在るぞ……!
     同じ道程を 行く者が……ここに……!
     ここに在る……!」

<引用終了>

この世界において、自分自身の選択について誰も助けてはくれない。誰も責任を負ってくれない。まどかですら、魔法少女になるという選択が正しいかどうか、その結果幸福になるかどうかに責任は持たない。
でも、それでも。
誰かが、どこかで自分と同じように戦っている。同じ道程を行くものがどこかにいる。それこそが、まどか☆マギカという物語で描かれた「希望」なのではないだろうか。

私は、まどか☆マギカは、自己犠牲と救済の物語ではなく、理不尽な世界の仕組みに対する反逆の物語であり、人生を戦うことへの全面的な肯定の物語だと受け取ったのである。

しかし。
いつか、まどかの戦いが終わり、彼女に安息の日が訪れる物語が見たいと願うのは、蛇足だろうか。

お願いしますよ虚淵さん。